「優等生」の意味と闇

「優等生」の意味と闇

こんにちは!トモルです。

 

このブログでは、「脱優等生」をメインテーマとして、記事を投稿していきます。

 

大手企業に勤め32歳で年収900万を得た自称「優等生」の私が、人生を振り返って、「このままでいいのかな」と漠然としたモヤモヤから解放されるために「脱優等生」を目指して、自身の考えや経験を【優等生出口戦略】としてアウトプットしていきます。

 

「脱優等生」の意味については、私のプロフィールを見てください。

 

今回は、私の考える「優等生」の定義を述べていきたいと思います。

結論⇒「自分のことが嫌いな人」。

 

 

このワードにドキッとした方は私と同じ「優等生コンプレックス」に陥っている可能性がありますので、判断材料として読んでいただければと思います。

 

一方、「こんなこと考えている人間がいるのか」と思われる方もいらっしゃるのではないのでしょうか。

そういった方は時間が勿体ないのでこのページをすぐ閉じましょう!

 

ちなみに私の妻は後者です(笑)

 

広辞苑での「優等生」の意味

 

私の考えの前にまず、広辞苑で日本語としての言葉の意味を調べてみました。

  • 学業に励み、成績優秀な生徒・学生。
  • 優秀だが、面白みに欠け融通のきかない人

 

えっ。。。広辞苑さんて意外に直球で辛口。

というか、言葉を説明するためには①で十分じゃない?②は完全に余計ですよね。

 

だって、「優秀」はテストの点数等、定量的に線引きできる要素はあるけど、「面白みに欠ける」とか「融通のきかない」とか完全に主観でしか判断できないし、この文字列から負のオーラをビンビンに感じます。

 

どうでしょう、皆さんは一般的な意味合いとして「優等生」というワードを②で理解されたことがあるでしょうか?

 

私はありませんでした。「優等生」はポジティブワードとしてしか捉えてきませんでした。

 

私が子供のころは、「優等生」=「出来の良い子」とポジティブな意味で、同級生から”憧れの的”のような扱いであったと記憶しています。

私自身は、少年期にはテストの点数は常に80点以上はキープしていたし、運動会ではリレーの選手に選ばれる程度に足は速かったし、吹奏楽部に所属していたので音楽もできたので、「優等生」側の子供でした。

 

そんな自称「優等生」の私は、「一流大学を卒業し、大企業に入社すること」が勝ち組で、そうでなければ負け組だという考えでした。

 

だから、いかに良い成績をとるか、また就活を有利に進めるかという打算的な考えで学生時代を過ごしてきました。

 

しかし、私達の生きてきた30年で生き方の多様化と共に、幸せの形が変化していたようです。

 

私が気づいた時には、自己実現のために、「自分をいかに表現し、楽しく生きること」に重きが置かれる時代に変わっていました。

一例ではありますが、東京大学を卒業してもベンチャー企業への就職や、起業を選択する人がいたり。中には、お笑い芸人になるひともいます。

 

そういった時代の流れの中で「優等生」は”憧れの的”どころか、②の解釈のようにいつの間にか「面白みに欠ける」とか「融通のきかない」を揶揄するような、ネガティブワードにも捉え得る言葉に変化していったのではないしょうか。

いつから広辞苑に②の意味が記載されているのかは知りませんが。

 

そもそも、日本を代表する辞書が②の説明をしている時点で、「優等生」は必ずしも褒め言葉ではないので、皆さまこれからは”ぬか喜び”してはなりません。

①と②どちらの意味で言われているのかはわかりませんので要注意です。

 

筆者の考える「優等生」の定義と闇

 

広辞苑の検索結果をみて私が最初に感じたのは「広辞苑って簡潔かつ的確だな」ってことです。

なぜなら、現在の私の考えは冒頭で宣言したとおり、ネガティブワードだったからです。

 

私の考える「優等生」の定義とは「自分のことが嫌いな人」。これが今の私が一番しっくりくる表現です。

「どういうこと???優等生と自分が嫌い、全然繋がらないんですけど」

という方のため、少し解説します。

 

「優等生」は当たり障りのない人生を生きているはずです。

当然ながら、当たり障りがあると、「優等生」をキープできずに「一流大学を卒業し、大企業に入社する」ルートを外れてしまう可能性があるからです。

 

自分の感情をできる限り抑えます。そしたら、いつの間にか周囲からは”器の大きい人”とされます。

そうすると、周囲に合わせられることが自分が正しい姿だと思います。

 

結果として、人の意見だけに左右される「軸がない人」になります。自分ではなんでもよくなります。

 

「自分はこうあればいい」という軸がない+「優等生」のプライドだけはあるので、自分の無い優れたものを持つ人に出会う度に、自己嫌悪に陥ります。

 

これを繰り返すと、いつの間にか「自分を嫌い」になります。(自己肯定感が著しく低くなる)

 

「優等生」の特徴は下記のようなものがあります。

・人の幸せを認められない。                                        ⇒人の幸せを認めると、自己嫌悪に陥るので自己防衛のため人の欠点を探そうとします。

・完璧主義者っぽくなる。                                                        ⇒軸がないので自分の能力に応じた線引きができません。ぽいけど、完璧にはなりきれません。

 

この記事を書いていて、とても悲しくなってきたけど、昔の私はそうでした。

今の自分もそうだけど自分の性格を自覚し始めて、まだまともになってきましたね。

 

生きづらそうでしょう?

20代後半は結構キツカッタです。

 

共感いただけた方は、今後のこのブログの記事が胸に刺さるはずなので、定期的に見に来てください(笑)

 

子供の頃は、大人に比べて経験が圧倒的に少ないわけですから、自分の軸を持たずして、親に言われたから宿題・勉強をする。

それが結果として成績に繋がる。言われたことをちゃんとやることができる子供が優等生になるわけです。

 

つまり、前項で広辞苑上の「優等生」の意味は時代と共に①から②に変化していると言いましたが、子供から大人になる中で①から②に変化していくものと考えてもいいのかもしれません。

 

以上、優等生の抱える闇でした!

 

それでは、私から以上!

 

 

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